園だより巻頭言2026年5月号

 わたくし、実は鉄ちゃんです。写真を撮る「撮り鉄」、乗るのが好きな「乗り鉄」などがありますが、私は主に鉄道模型を楽しむ「模型鉄」です。プラレールからスタートし、Nゲージ、Zゲージなどという変遷を経て、10年ほど前からドイツのメルクリン社のHOゲージで遊んでいます。

 大人用の高機能な模型なのですが、技術の進歩と共に機能もどんどん付加され、列車の運転を制御するコントローラーも変わっていきます。でも、メルクリン社の模型で感心するのは、どんなに古くなっても昔のものを使い続けることが出来るよう設計してあることなのです。子どもの頃に買ってもらった同社の子ども用のおもちゃの模型、大人になってもその時の線路は使えるし、パパが遊んでいる線路の上を子ども用のおもちゃの列車を走らせることも出来るのです。どうやら、ドイツの物作りの考え方がそうした持続可能なSDGsに基づいているようです。

 日本も、良い物を長く使い続けられるような物作りをしてきました。でも近代化が進むにつれ「壊れないと新しいものが売れない」という理由から、程よいタイミングで壊れるように作ったり、便利さゆえに使い捨てが多く用いられる場面も増えています。確かに経済活動のことを考えたら物が売れ続けることは大事でしょうし、時間的労力的なコストの問題から使い捨ての活用は否定されるものではありません。でも、それが当たり前だという感覚になった結果、壊れたら修理するより買い替えるとか、なんでも使い捨てで良いという、物を大事にしないことが当たり前になりはしないかという懸念も生まれます。物を大事にしない感覚は、やがて人を大事にしない感覚にも繋がっていきかねないからです。事実、能力至上主義の考え方は、使えない、役に立たない、と言って人を簡単に切り捨てていってしまいます。

 人には様々な考え方、性格、能力の人がいます。なぜそういう多様性があるのかと言うと、種としての生存戦略なのだそうです。現代の価値観に照らし合わせたら不要だと思われる人も、別の場面ではその力が活かされるということは確かにあるわけで、例えば身体的あるいは精神的な障がいがあることさえ、いわゆる健常者と呼ばわれる人たちが苦しめられたり絶滅したりする場面で、生き残って種を残す役割を担う可能性があるというのです。実に興味深いですよね。

 つまり、私たちにとって無駄、無意味、と思われるようなものは確かにあるけれど、それは心構えひとつでその考え方は変わっていくということです。そして、無価値だと思っていたものに大きな価値を見出すこともあるということです。結果、それが人間だとしたら、かけがえのない命を生きている私たち人間は、誰もないがしろにされるものではなく、一人ひとりが神様と人から愛される大切な存在だということです。子どもたちも、あなたも、私も、です。大切にされるって感じるのは、嬉しいことですよね。園長:新井純