ロシアの文豪トルストイの作品。二人の老人が聖地巡礼の旅に出ました。一人がタバコを吸いたくなったので「先に行っててくれ。すぐに追いつくから」と申し出ました。相方は、「まだやめられないのか。罪なことだ」と呆れながら、先に行ってしまいました。
老人は水を1杯もらおうと、近くの民家の戸を叩くと、中から痩せ細った母親が出てきて、「うちには食べ物はもうないよ」と力弱く言うのです。「いや、お水を1杯もらえれば」と思いながら薄暗い家の中を覗くと、本当に家の中には何もないといった感じで、ただ子どもたちがひもじそうに俯きながら座っているのが見えただけでした。憐れに思った老人は、町まで引き返し、小麦粉や肉や野菜を買い込んで民家に戻り、痩せ細った母親と子どもたちに得意の手料理を振る舞ってやりました。子どもたちは嬉々として料理を食べ、母親は「こんなちゃんとした食事をしたのはいつ以来だろう。もう明日のパンを焼く粉もなかったところです」と涙を流しました。老人はその晩は泊めてもらい、翌朝になって出発しようとしましたが、「はて、このまま私が出て行けば、またたく間にこの親子は飢えてしまうだろう。それはいかん」と思い直し、再度町まで戻り、聖地旅行のために蓄えていたお金で牛やロバなどの家畜、麦の種などを買い込み、民家に戻るとこう言いました。「ロバを使って畑を耕し、麦の種を蒔き、牛の乳を子どもたちに飲ませてやりなさい。今度の収穫までの食料は別に買ってあるから、それでしのぎなさい」そして、すっかり懐いた子どもたちと毎日遊びながら数日を過ごし、落ち着きを取り戻した頃を見計らって、自分の家に帰っていきました。
一方、先に進んだ相方は宿場で友人を待ったものの現れません。気づかず先に行ってしまったのかもしれんと、先に進んでみることにしました。しかし、聖地に着くまで追いつくことはありませんでした。
聖地に到着し、大聖堂にお参りに行ってみたのですが、あまりにも大勢の人でごった返しており、聖壇に近づくことができません。ところが、何とか様子を見ようと背伸びをしてみると、なんとあの友人の姿が聖壇のすぐ近くにあるじゃないですか!やはり先に来ていたんだな。そう思って安心したのですが、外で待っていても会うことはできませんでした。そして、翌日も翌々日も大聖堂に行ってみるのですが、自分は聖壇に近づけず、なのに友人は聖壇のすぐ横にいるのが見えたのです。相方は諦めて聖地を離れ、帰路に着いたのでした。
その帰り道、友人と別れたあたりに差し掛かった時、確かあの民家だったなと思い訪ねてみると、子どもたちが飛び出してきて、見ず知らずの自分をもてなしてくれると言うのです。自分たちが助けられたから、自分たちも人の役に立ちたいのだと。老人は悟りました、彼がなぜ聖壇の横にいたのかを。おしまい。 園長:新井 純